長男、友だちと喧嘩をする

エマです、こんにちは。

昨日子供たちを学童付き幼稚園に迎えに行った際の事。子供たちが遊んでいる上の階から昇降口へ降りて来るまでの間、幼稚園の先生の一人に園庭の隅に呼ばれました。何ぞあったな、とは思っていましたが、学童への道すがら、長男が友だちと殴り合いの喧嘩をしたのだとか。

学童に行く子供たちは、授業が終わると同じ時間帯に終わる子供たちと校庭の側の横門に集まって、皆で学童に向かう約束になっています。グループになって歩く性別は分かれがちですが、皆で学童に向かいます。

その日は天気もよく、春めいてきてあちこちに花が咲き乱れており、学童へ向かう道々、友だちの男の子が(以下E男とします)花を足蹴にしたり、摘んでは捨てたりを繰り返したそうで、長男がそれを注意したそうです。花の好きな長男は、花を踏むのですら躊躇するところがあり、綺麗だと愛でる事はありますが、手折ったりする事はありません。もしE男が、花を母親や妹の為に摘んでいたりしたのであれば、長男にとっては許容範囲で屹度トラブルにならなかったのではないかと思っています。何故と問う長男に、ただ蹴散らかしたいから、と答えたそうで、注意された事で更にヒートアップして花を無碍に扱うE男に、長男はカーッとなってしまい、殴り合いに発展したらしいのです。殴り合いといっても、恐らく花を踏ませまいと押したりしたのが、押し合いになって殴り合いの体になったのだと思います。長男は興奮がやまず泣いてしまったらしいのですが、1年生の女の子が幼稚園に駆け込んで、先生を呼んで来てくれ、喧嘩を止めてくれたそうです(そして喧嘩する2年生)。

先生は直接は喧嘩を見てはいないけれど、大体の話を両方から訊いて、「長男が自分から話してくれるとは思うけれど」と前置きして事情を説明してくれました。仲直りはしたものの、長男は興奮からお昼ご飯も食べずにいた模様。一応長男からも聞き取りをしましたが、自分でも良くない事をしたと思っているのか口数少なく、あまり自分からは話したくないようでした。無理には訊かないけれど、少し話はしました。

  • 長男の花を大切に思う気持ちや守ってあげたいという気持ちは優しくて、良いなと思うこと
  • 注意する事で正しい事をしたと思っても、手を出す事が一番いけないこと
  • 綺麗なものを手元に置きたいという衝動で花を摘んでしまったり、手に入らないものならばと破壊してしまう子もいること
  • 注意するのはいいけれど、危険な事や犯罪行為でない限り、注意を聞き入れられなければ、その子とは距離をおいておくようにすること

など話しました。どういったアドバイスがこの際的確かは分かりません。しかし自分の中で正しいと思っている事を、必ずしも他者が同じように感じているかどうか、という事を、これから自分でも考えて、他者の気持ちにまで思いを馳せられるようになればいいなと思います。花を手折る=良くないこと、花が可哀想という図式が強く頭の中にあって、それをする人がどうして同じような考えでないのか、またどうして良くないこと、花が可哀想だと認識出来ないのか、悪いことであってもどうしてそれを行動に移せてしまうのか、そもそも花を手折る事が悪い事なのか、不条理な事など、考えることは沢山あります。これが長男にとってもこれから自分で理解していくべき課題なのかもしれないです。

情緒発達のゆっくりな次男程ではないのですが、長男も彼なりのこだわりだとかがあって、ヒヤヒヤする事がややあります。

  • マイペースなところ
  • 相手の気持ちを読み取る、空気を読むのが苦手(でも悲しい本を読むと泣く)
  • たとえ話に置き換えても理解が困難
  • 自分の興味のある話を一方的にする
  • 予定が変わったり、時間に間に合わないと思うとパニック・腹痛をおこす
  • 話す順番を待てずに、人の話を遮る
  • 運動は好きだが、動きがぎこちない(スキップとかリズムが取れない)

子供には多かれ少なかれある点ではありますが、日々成長する中で、出来ることが増えたり、出来なかったことが出来るようになったりしていってくれたら良いなと思います。

今回の件について、旦那からの長男へのアドバイスは「自分に関係のないことだから、他人の行動は無視。自分の心がかき乱される事は敢えて自らしない」。「自分に関係のないこと」、これはよくドイツ人が言いますが、「無関心」という意味ではないのです。「自分に関係のないこと」に自ら関わっていく必要はない、というか。まあ何事も、自分の頭の上の蝿を追っていればよいのです。日本語で「自分に関係のないこと」とか「無視」というと語弊がありすぎて、私は長男にはそう言いませんでしたが、言葉の意味合いがそもそも違うので、ドイツ語で言うとしっくり来るのです。日本語だったら「距離をおく」とかが無難な表現でしょうか。

こうした喧嘩も成長の糧となっていくでしょう。子供たちの喧嘩ですから、その日のうちにそうしたイザコザはなかった事になってしまって、後腐れなく、またいつもみたいに一緒に笑って遊び回る。喧嘩をしたことのない友だちなんていないでしょう。こうして他人と社会を形成していく事を学ぶ一歩になっていくだろうし、意見が異なっても友情を育んたりする事が出来る。それが子供時代の醍醐味であり、また、成長の良き糧となってくれますように。

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お兄ちゃんと私の話を聞きながら歩いた帰り道、そして旦那からアドバイスを受けている時も、終始お兄ちゃんの味方でいた次男も優しい子。二人共、心優しく育ってくれていて嬉しく思いました。