日本語って面白い

エマです。

またしても流行りに置いてかれた感がありますが、浜ちゃんが司会する番組の、夏井先生の俳句添削を今楽しく拝見しています。

いやぁ、夏井先生の的確な酷評もさることながら、日本語って矢張り奥が深く面白いなぁと思いました。敢えて漢字を使わずに平仮名にする事や、言葉を映像化する、可視化するという、ちょっとした事で言葉がより美しくなってゆく楽しさ。たかが5・7・5 なんて言ってはいけません。決められた文字数の中、決められた規則、けれども漢字・平仮名・字余りと、柔軟に詠んでもよし。日本語って面白い。

では一句。

 

〽︎ ふるさとを 思ふ渚に 打ち寄せる

 

母の故郷・静岡の浜を思い浮かべてみましたよ。打ち寄せる波、としようと思ったのですが、「打ち寄せるのは波しかないじゃない」という夏井先生の声が聞こえてきそうなので、波という語はカット。語順を変えて「〽︎ 打ち寄せる 渚に思ふ ふるさとよ」も捨てがたい。5・7・5 の中に季語を入れたりと考える事はありますが、5・7・5 のリズムは日本人のDNAに深く刻み込まれているとみた。思った事をあまり規則に捉われずに自由発想で詠む、これは中々面白い。

 

実は恥ずかしながら物を書くのが趣味で、今までは漢字ばかりのカッチカチな文章を書いていました。それがカッコいいと思っていました。昔手習いした書道で北魏ばかり書いていたので、カッチカチな漢字が好きなのもあります。物を書く上で、言葉を映像化する、みたいな事は何となく大切だと、漠然と想像しながら書いていましたが、夏井先生の説明が、ストンと心に入って来ました。言葉を映像化するって、言葉を可視化するってこういう事なんだなと。

 

ところでドイツ語で、どうしても解せない言葉にschläfrig (眠い・疲れた)という形容詞があります。これは動詞のschlafen (寝る) に由来する語です。日常的には müde (疲れた) という形容詞を使います。しかしながら、実際にドイツ人には「眠い=疲れた」という感覚しかなく、schläfrig は基本、疲れたという意味で使います。疲れたから眠い、眠いのは疲れているからだという事です。論理的な人種だ。

一方で日本人は「眠い・疲れた」を完全に違う意味として使い分けているかと思います。勿論疲れているから眠い事もあるでしょう。しかし人間は疲れていなくても寝るし、眠くもなります。なので、私も日本人らしく眠い時、ドイツ語でschläfrig と敢えて表現します。とはいえ眠くて欠伸をしたりするとドイツ人には必ず müde? (疲れた?) と訊かれますが、矢張り違和感を感じずにはいられません。こういう言葉のニュアンスや感じ方はどうしても母国語でない限り、分かり得ないのかもしれないと思うと少し淋しい気持ちになったりしますが、そうした言語の違いの背景に、その国・人種の文化や生活習慣が見え隠れしていて、それを発見したりするのは実に楽しい。

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