我が家は男の子が2人

エマです。

(子供の性別についての話ですので、不快に思われる方もいるかも知れません。そういう方はスルーして下さい。長文です。) 

 

クリスマスには男の子らしいプレゼントを貰った我が家の息子たち。

旦那が長男、私が次男を相手に、それぞれのプレゼントを組み立てました。長男のプレイモビールの消防ポンプ車の組み立てに時間がかかっている間、早々にDuplo のカーズを組み立てた私と次男で暫く遊んでいました。

漸く組み立てが終わり、長男が遊び始めると、旦那がこう言うんです。

「男の子のオモチャ遊びばかりで残念だね」

我が家には男の子が2人。女の子、欲しかったろうに、と旦那にそう思わせてしまって、何だか申し訳ない気持ちになりました。そして旦那からすると、私は可哀想な人と思われていたと思うと、ナンカそれ違うと感じてしまったのでした。

自然の摂理が決める事とはいえ、元々、子供は2人、違う性別の子供たちを育ててみたいなと漠然と思っていたし、口にも出していました。それでも2人目の性別が判明した時、別に残念とも思わなかったし、長男に弟が出来る事や新しい生命を素直に喜ばしく思ったのでした。

でも子供服を買いに行けば、男の子コーナーは隅っこに追いやられ、あるのも縞々、青い服ばかり。女の子コーナーは広くスペースが確保され、もうね、華やかなの。可愛いの。自分に娘がいたら着道楽させてあげたい。そんなキラキラした乙女な空間。

だけど、これは自己満足、自己投影だと分かっている。幼稚園ではいつもブロック遊びや木登りをしていた私。いつも姉について行って一緒に遊んだ姉の友だちのRちゃん。彼女は短パンの似合う活発な子で、私もそんな風になりたくて、反対する親を他所に男の子みたいな格好をした。中学校に入って知り合った、大好きだった友だちM。彼女みたいになりたくて、長かった髪の毛をバッサリと切った。思春期に入り初潮を迎えた時、女の子である自分を否定した。無頓着な母はそんな子供と大人の狭間で、苦しみもがく私を助けてはくれなかった。自分の意思とは反対に女性らしくなってゆく身体。そんな身体を隠すかのように男の子の洋服を着て、男の子に間違われると、嬉々とした。

でも本当は可愛らしい服を着てみたかった。けれど男の子みたいな私を知っている家族や友だちの前で今更女の子らしい格好をするのが恥ずかしかった。皆んなも男の子みたいな私を本当の私と思っていたから、私はそれを演じ続けた。

女の子が1番美しく輝いている短い期間を私は無駄にしてしまった。その事に気づいた時、女の子としての輝きが既に傾き始めていた。その、ほんの僅かな消えゆく女の子である期間の間際で、はっと気がついて、短期間だったけれど、皆んなにからかわれながらも、女の子らしい格好してみたり、お化粧してみたりした。楽しかった。何でもっと早くに気がつかなかったのだろうと後悔した。女の子である事って悪い事ばかりじゃない。楽しい事も沢山あるんだって。

こんな私が女の子の親にはなれないだろう。過去を反面教師にする事は出来るかもしれないけれど、未だに思春期の苦悩を克服していないまま、娘にきちんと向かい合えるかも分からない不確かな状態で、女の子を育てて行くのは、やはり怖い。娘に自分が出来なかった事を押し付けて自己実現してしまいそうで。女の子が欲しかったな〜と思う気持ちがないと言えば嘘になるけれど、今は男の子2人の母親として幸せです。

三姉妹の自分にとっては未知の男の子育児。腕白小僧が2人。これから、どんどん大きく成長して大変かもしれないけれど、心身共に全力投球してゆきたいと思います。

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シーッ、パパを驚かせに行くよ。ママもついて来て!