診察拒否対応なドイツの町医者

エマです。

今週月曜日から急性扁桃腺炎になったのですが、COVID-19対応の所為で診察拒否されまして。基本電話診察になるので処方箋は出ず、自然治癒に任せよ、との事。扁桃腺炎の際は抗生物質を処方してもらい、人への感染を素早く止めるのが通常対応。おかげで身体が辛くて、子供たちにも移す確率大(旦那は扁桃腺切除済み)。扁桃腺炎の治らないまま副鼻腔炎も併発してしまいました。

矢張り診察拒否の決め手は喉の痛みがあるかどうか。咳はないのですが、COVID-19の症状の一つである喉の痛みに引っかかりました。どの風邪にもある症状ですが、そうは言っても最近の感染拡大を防ぐには、こうした対応をするしかないのでしょうが、身体の弱い高齢者や子供たちには無情な気もします。自然治癒を待っていたら身体がどんどん衰弱していくという…。

来週水曜日まで病欠予定ですが、多分来週いっぱいダメでしょう。仕事にも穴を開けてしまっていて、在宅勤務でフォローしてくれている同僚には感謝しかありません。他の同僚の話を聞くと、現在ほとんどの人が在宅勤務中だそうで、出社した同僚曰く、事務所がガラーンとして異様な雰囲気だそうです。身体が良くなったら私も一旦出社してLaptopを持ち帰ったり在宅勤務の準備に追われそうです。私の専門分野に限ってはまだペーパーレスに至っていないので、本来なら会社で作業するのが効率的なのですが、そうも言っていられない状況。これを気に私の専門分野もリモートワークへ向けて改革されていくかなと思います。

ドイツでも色んな会議やイベントが、政府レベル・市民レベルを問わず中止や延期になっています。ドイツでも比較的早く対応や対策が取られていますが、不安な日々を送っています。日本はあの政権ですから、もっと不安であるかと思います。COVID-19感染拡大がきちんと対応されて早く収束し、国民が安心して暮らしてゆける世の中になりますように。

皆さんもお大事にお過ごし下さい。

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小児科の待合室。流石スペイン系、中々カラフルで好きです。

 

 

2月の徒然

エマです。

最近更新が滞りました。なので2月の出来事を徒然なるままに。

我が家の水瓶座ボーイズも2月に6歳、4歳になりました。身長もグッと伸びて長男116cm、次男100cm。2人共揃って2月生まれ、2回にわたり幼稚園へケーキやお菓子を焼いて持ってゆき、自宅でも2度ケーキを焼いたり、Dr. Oetkerのケーキ・ミックスが大活躍でした。マフィンには、LEGO NINJAGO の絵の書かれたウエハーペーパー(食べられる紙)を乗せたので、息子たちや幼稚園の子供たちは大興奮。喜んで貰えました。

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2人の誕生日会をした先々週末は謝肉祭の花車が街中をパレードしていました。当然市内の路面電車は止まっており。その事をすっかり忘れて、注文してあった誕生日会のケーキを取りに、長男と地下鉄から路面電車へ乗り継ごうとして、パレードの日だった事を思い出しました。地下鉄から出た所も丁度花車のルート、路面電車の線路沿いにケーキ屋さんへ向かう先もルートの一つ、帰り道もルートにぶち当たり、荷物持ちの手伝いの為に一緒についてきた長男は、花車から投げられる飴やお菓子を拾えて大満足。強風で投げられたお菓子が吹っ飛びまくりでしたが、そこそこの収穫、家へ帰ってからお留守番していた弟と山分けしていました。

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それから先日、クロアチア・ドイツのハーフである友人に良いものをお土産に貰いました。

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プラムの種みたいなこれ、何だか分かりますか?

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アーモンドです。自家製なんだそう。いつも車で片道36時間かけて、父方実家であるクロアチアへ帰省し、車一杯にお土産を積んで戻ってきます。樽漬けのオリーブ、大きな自家製ベーコン、色んな物をこれでもかと持って帰って来ます。ヨーロッパは陸続きなので、ドイツに住むヨーロッパ人は結構こうやって故郷のお土産をどっさり持ち帰ります。日本は遠い島国、飛行機で運べる量には限りがあるので羨ましいです。

最近絵を描くのが大好きな次男、Laptop を工作してきました。

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二つ折りした紙にキーボードを描いていて、ちゃんと折り畳めるLaptop 。きちんと特徴を掴めています。

もう3月になって、今週末にはお雛様の片付け。そして復活祭に向けてチョコを買って準備したり。リンツのチョコを4袋購入すると貰えるウサギのマスコットに次男が大喜びしていました。2020年も今月で第一四半期が終わると思うと、時間の経つ速さに驚きです。さして目標とかある訳ではないのに、コレといって何もしていない自分に焦ります。

COVID-19、うちの会社もドイツ国内支社の一部が閉鎖したり、在宅勤務するなど、影響が出てきました。そして在宅勤務に備えて毎日Laptop を自宅へ持ち帰るように指示が出ました。子供たちの送迎があるのに重い荷物が増える…。Laptop 用のリュックに切り替えようかな。長男の就学に伴い、週一で在宅勤務をしようと思っていたので、その準備や練習と思って過ごそうと思います。日本の皆様もご自愛下さい。

 

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近所の本屋さんでヨシタケさんの翻訳本を発見。子供たちも「もれたろうの人の本」と認識して喜んでました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長男、小学校入学へ向けてのto do

エマです。


我が家のやんちゃボーイ、長男は夏休みの後に小学校へ就学します。自由保育の自由奔放過ぎるカオスな幼稚園から、クラスがあり行動が制限される小学校へ、ステップアップです。授業中ちゃんと座っていられるというのは、幼児教室や算盤教室で出来ているので、今のところ心配はしていません。ただ、怖がりでシャイなので、親が側にいないと不安になるタイプ。幼稚園のお友だちも何人か一緒に同じ小学校へ就学するし、学童の子供たちもいるし、頑張れるかな?

とはいえ小学校へ上がる前に覚えておくべき事、出来るようになった方が良い事があるので、夏までに少しずつクリアにしていこう。

 

生活編

ボタン掛け:

今までボタンのある洋服を嫌がっていたのでTシャツしか来たことがありません。LEGO も自分で組み立てられるくらい手は器用なのですが、ボタン掛けは練習させておこうと思います。

 

ズボンのホック:

今もってお腹がぽんぽこポンなので、ホックやボタンのあるズボンが履けませんでした。また1人で、トイレでズボンが下ろせるようにウェスト・ゴムのズボン着用。もうそろそろ普通のズボンも履けるようになっておこう。

 

靴紐:

普段は着脱簡単なマジックテープの靴を履いています。これからは運動靴など履く機会もあるでしょう。蝶々結びがまだ出来ないので、これも練習が必要かもしれません。

 

外套のチャック:

現在着用している外套のチャックは金具で、噛ませて少し引き上げるのに、やや力が必要。サイズ的に、次の冬にはもうそろそろ新しい外套を新調した方が良さそうなので、自分で着衣が出来るか試着してから購入しよう。

 

トイレの使い方:

ズボンを下ろして座ってするように指導しているのもあり、立ってする仕方がよく分からないみたいです。ドイツの小学校のトイレは汚くて便座が付いていない事が多いです。しかも紙がない。なので座ってしようと思ったら、中腰・空気椅子を強いられます。便座が付いていないと、お尻が便器に落ちるし、無理して座るのも汚い。どうしても立ってした方が無難。これは旦那に指導して貰おう。

 

学習編

曜日、時計の読み方:

定められた時間や決まった日にやる事のある学校や習い事。時計は1が5分2が10分というのがよく分からないようで、中々苦戦中。曜日は、100匀で買ったホワイトボードに曜日を書き、毎日該当する曜日の所へマグネットを置いて貰っています。曜日は、算盤の日は金曜日、義両親がお迎えの日は月曜日、などと言いながら覚えるようにしています。日本語でもドイツ語でも、どちらかの言語で曜日や時間の概念を覚えてしまうと、別の言語での単語は自ずと分かってくる感じ。

 

文字を覚える:

日本語は幼児教室へ通っているので、なんとか平仮名で五十音の読み書き、自分の名前を書く事が出来ます。その分ドイツ語の読み書きは出来ません。今自分のドイツ語名だけは書けるようになったところ。私自身、読み書きは親が教えてくれる事もなく就学してから覚えたので、それでも充分ですが、最近は就学前に読み書きが出来る子供たちが多いので、授業のテンポが早い可能性があります。先取りではないけれど、少し準備しておくと、理解度がゆっくりな長男には丁度良いかもしれません。

 

通学・学童編

通学は、朝は私が次男を幼稚園へ送った後、一緒に行きます。幼稚園の学童へ入る予定で、学童への道程は長男も知っています。幼稚園と小学校までの距離はおよそ徒歩5分。信号機のある大きな車通りを隔てて向かい側にあるといったところ。幼稚園・学童の先生曰く、就学時は慣れるまでの最初の6週間位は親か送迎登録をしている大人が、小学校からピックアップして、学童へ連れて行く必要があるとか。ならば、そのまま次男を迎えに行って帰宅になりそう。学校、11時半頃に終わるんだけれど…。会社どうしようかな。慣れてきたら、保護者同伴なしで、でも必ず少なくとも2人組で学童へ通って良いのだそう。送迎については、幼稚園の先生と話し合う余地があればいいんだけれど。

学童は幼稚園同様自由奔放、自習室などなく、ただ放課後遊ぶだけ。出来たら宿題をやって欲しい。自宅でやり直したりコントロールが必要とはいえ、学校の後に自己学習するという習慣がつくのに越した事はない。最も、自習室がある学童へ通っている親御さん曰く、遊びたい気持ちがはやって、結局いい加減に宿題をやるから、家でやり直しだそう。

幼稚園から学童への道程は近距離だけれど、交通ルールも覚える機会。自転車通学もOKだし、自転車の運転中のルールも覚えられたら良し。

 

その他

「知らない人と話さない、ついていかない」

「嫌なことは嫌だということ」

これは事あるごとに言い聞かせていますが、中々難しい。一応理屈は理解しているのですが、後者は特に身近な人間関係が関わってくるだけに、子供の世界では大人の思うように簡単にはいかないかと思います。経験値を貯めて、良い人間関係を築けたら吉。

 

それに合わせて、小さな次男も少しずつ慣れて行かなきゃ、だ。お兄ちゃんが学童へ来るまでの間、幼稚園で自分の友だちを作ったり、身を守ったりと、自分の世界を切り開いて創っていけたら良いね。

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今日は火曜日☆

 

有難う、またね。

折角有給を取ったのに先週頭から子供たちが病気になり、続いて自分もダウンしたエマです。まぁ、疾病証明書を取ってあるので、有給は遡及請求出来るので良いのですが。

そんな中、訃報が入りました。父が亡くなりました。昨年脳溢血で倒れ、それでも自宅へ戻る事を目標にリハビリ病棟で毎日リハビリに励んでいるところでした。旦那の義叔父も50歳で脳溢血を起こしてから20年以上経つ今も元気ですし、母からも退院の目処もついている事や父の様子を聞いていたので、まさか、という結果でした。しかし脳溢血は生活習慣病で再発もしやすいと聞いており、不安は勿論ありました。とはいえ、こうも急に亡くなるとは思いませんでした。

子供からすれば、親は絶対の存在で、いつかいなくなるなんて思いもしないもの。現実にはそんな事はあり得ないのに、想像が出来ない。不思議なものです。

しかしながら、落ち着いて父の死を受け止めている自分がいる。多分側で父の姿を見ていれば、もっと辛いだろうと思う。受け止めきれていないから、辛くならないのか。これから徐々に悲しくなってゆくのだろうか。私は冷たい人間なのだろうか。ただ、自分が思い出すのは笑っている父だから、辛くならないのだろうか。

実は自分よりも、家族思いの旦那の方が参っている。私の事をとても気遣ってくれつつも、感情をあまり表に出さない私という人間を、不思議な面持ちで眺めている。そりゃぁ、そうだ。私の心の中には、誰であろうと善意であろうと、土足で踏み込む事の出来ない領域があって、そこには私自身でさえ引っ張り出す事の出来ない女の子が1人座っているのだから。おいそれとは出て来ません。

故人の意思で葬式はするつもりはなかったものの、リハビリ病棟の人に、話だけでもと、近くの葬儀屋を紹介してもらい、話が折り合ったので直葬となる予定です(直接火葬場でする略式の葬儀の事だそう)。父は宗教が嫌いなので、お経を読んで貰ったり戒名をつける事もなく、お骨のみ受け取って帰宅するのだそうです。

私は駆けつけたい気持ちもありますが、時間的な問題や諸問題がある事や、母が夏に帰省した際で充分と言ってくれており、直葬には参列しません。気持ちが落ち着いて、夏前に一度戻りたいと思うかもしれません。父も母も、私が自分の家族と幸せに暮らしてゆく事を望んでいるのであって、何もかもをほっぽって日本へ駆けつける事を良しとしていません。世間他所様からみたら、自分の実家の家族観は少し変かもしれません。でも人を思う気持ちは場所じゃない。心で思うものだと思っています。

昭和25年1月1日生まれ、享年70歳。高度経済成長期を支え駆け抜けた団塊世代の父。家族思いで、私にとって英雄であった父。父親っ子だった私には、大工仕事から配電作業、家事まで何でも器用にこなす父は偉大だった。常に平等で公平だった父。自分が職場でどんなに辛くても家族を支えてくれた父。父がもういないんだと、もう話すことが出来ないんだと、その声を聞く事が出来ないんだと思うと矢張り淋しく悲しい。しかし、さよならは言わない。有難う、またね、とだけ言っておく。

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今日道端で福寿草に似た花を見かけました。調べたら、1月1日の誕生花だそう。お父さん、春がもうすぐ来るよ。

 

 

 

 

子供たちの成長を感じる今日この頃

エマです。

先日、子供たちを幼稚園へ迎えに行った時の事。いつもは汗びっしょりになる位サッカーに興じているのに、この日は何故か2人共、最近幼稚園に入ったばかりの中国人の小さな女の子たち2人と遊んでいました。ワゴンに乗せて綱を引っ張ってあげていたので、長男が遊んであげているといったところ。お迎えに来た私を見て、「じゃぁ、またね」となったところで、女の子の髪ゴムが取れました。すかさず長男が拾い上げて髪に結び直してあげようとしたものの、やった事がないので当然出来なかったので、髪ゴムを女の子に渡しました。そして「僕結んであげられないから、ママが来たらお願いしてごらん、ねっ!」と伝えてお別れ。小さな子と遊んだり、優しく話しかけたり、家では見せないお兄ちゃんらしい仕種。幼稚園では小さな弟を守るお兄ちゃん。こんな出来事に長男の成長を感じました。夏休みが終わったら、小学生。大きくなったもんだ。

次男だって負けないくらい、成長した。最近よく喋るようになった。文法は滅茶苦茶だけれど、言葉が増えて来た事はハナマル!幼稚園の先生からも「最近よく喋るようになりましたよ。素敵!」とお墨付き。喋り方が旦那や長男みたいな時もあり、おしゃまなカンジで可愛い。あとはオムツが取れたらいいな〜と思っています。絵もお兄ちゃんの真似をしながら、上手に描けるようになってきて、絵を描くのが楽しい今日この頃。義両親が子供たちを迎えに行って夕ご飯を作ってくれた本日、子供たちの就寝時間の少し前に帰宅した私に、次男が嬉々として、義母から貰った手帳の白いページにMAMAと書いて見せてくれた。他のページには沢山練習した形跡が。

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「練習したよ。」顔を輝かせてそう言う次男は、いとおかし。

 

 

 

さらば、樅木

エマです。

待降節、聖誕祭の後、3人の聖賢者の日が終わり、1月6日をもってクリスマスは終了です。もっとも、我が家は樅木の回収の日まで、クリスマス・ツリーは出しっぱなしでした。

樅木の回収は、市の清掃会社が各地区毎に期日を決めて行われます。ゴミのコンテナに入りきるように一メートル程にカットしてコンテナへ入れる、もしくは、コンテナの横に置くなどしたものを回収するのです(各市町村によっては回収方法が違うかもしれません)。もっとも、皆、期日を守らず、クリスマスの祝祭日終了と同時に道路脇にうっちゃらかし、一人が捨てると、それを核にして、どんどんそこへ樅木を投棄してゆきます。悲しい・・・。我が家の地区は何故か今年の回収が遅く、明日。なので、昨日飾りを片付けて、今日の夜にコンテナへ入れて来ました。回収日が遅かったのもあり、前もって捨てられていたのもあってか、今日捨てられていた樅木はほとんどありませんでした。

今回の樅木は、何故か瑞々しく、あまり水を足さなかったのに、葉が乾燥する事なく、緑のまま。例年、乾燥した葉が床に落ちるので、毎日回りの掃除が必要なのに、今回はそれも不要。もしかすると化学的に何か処理されていたのかも、と旦那。

とはいえ、樅木を片付けていたので多少は葉が落ちたのですが、掃除好きな次男が顔を輝かせて箒と塵取りを持ってきて、楽しくせっせとお掃除してくれました。何だろう、赤ん坊の頃から掃除機や箒、モップで掃除するのが大好きな次男。掃除好きな義母の血筋かな?

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色の少ないドイツの冬を鮮やかな緑色で彩ってくれた樅木。有難う、また来年。

 

ドイツはまだ大晦日

エマです。

年越しまであと3時間半弱のドイツです。日本はもう年が明けましたね。明けましておめでとうございます。新しい年が皆さんにとって沢山笑って過ごせる喜びの多い年となりますように。

今年のドイツの大晦日は何処もかしこも、セキュリティ及び花火による二酸化炭素や毒素等の関係で花火が禁止になり、市街にある我が家は今年は稀に見る静けさに見舞われています。静か過ぎて変な感じ。いつもならバッカンバッカン打ち上げ花火をするイタリアン・レストランも休業中。我が家の近辺は完全な花火禁止ではないのですが、病院や老人ホーム等の側では禁止になっているので、その所為で静かなのかもしれません。

晦日の晩餐は去年同様、すき焼きに。春菊が売り切れで、彩りのないすき焼きになりました。あ、長ネギ忘れてた。だからか、余計に緑が足らないのは!今気づきました…。

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晦日だったので、日本の実家へ電話をすると、1か月前に父が脳溢血で倒れて入院中との事。こういう大切な事を、異国にいる子供に心配かけまいと知らせてこない両親。今時ネットも携帯電話もない両親、小まめに電話しようと思いました。色んな事を覚悟の上での海外在住、電話口で取り乱す事なく、母からの報告を受けた私は、冷たい人間なのだろうか…。不幸中の幸いだったのは、平日に自宅で倒れ、すぐに救急搬送された事、手術もする事なく比較的早くICUから出て、入院中とはいえ退院・自宅介護へ向けてリハビリに精を出しているという事。私には、ただ東に向かって祈る事しか出来ない。

色んな事を考えながらの年越しになりそうです。それでも子供たちが健やかで、衣食住に困る事なく年を越す事が出来るのが何よりです。新しい年が心穏やかに、家族皆んなが健やかに過ごせますように。

こんな中でも、「明日、明治神宮で御守り買って来るね〜」と言う明るい母に救われました。母らしいな、と思いました。母は強い。私も強くなりたい。