エマです、こんにちは。
ウクライナの都市に炎が上がるのを見て、かつて湾岸戦争で空爆が始まった際の映像を思い出して震撼し、恐ろしく、また涙が出そうになりました。
我が家はロシア領事館の目と鼻の先にあり、現在領事館の建物の前後にドイツ警察の車輌が止まって、良からぬ人々からの攻撃に対して警戒しています。少し物々しいです。
ドイツはロシアとは陸続きであり、ミサイルだって射程内だし、何かあれば戦争に巻き込まれる恐れがあります。昔、母は、ドイツに限らず外国人との婚姻や外国に住む事に大いに反対でした。それは、もし戦争が起きたとしたら、これからの時代、男女問わず徴兵に取られたり、ましてや愛する家族が否応無しに戦争に巻き込まれるからだとの理由でした。平和な時代に生まれた私には、分からなかった。でも今、欧州という国にいて、戦争反対の博愛の国にいながら、不条理に侵攻されるかもしれない恐ろしさを、感じえずにはいられません。
ドイツにはロシアからの移民が大勢います。これは十数年前に、ドイツ回帰という名の下、欧州に散らばって行ったかつてのドイツ民族を呼び戻す政策が行われたからです。少子化対策の意味もあったし、またドイツ移民の中には、第二次世界大戦の後に移民先で孤立して差別されている者も少なくありませんでした。そうした事も鑑みて、この政策では、一滴でもドイツ民族である事を証明出来れば、家族と共にドイツに移民出来る事になっていました。それで、これ幸いと、沢山のロシア人や東欧人たちが、ドイツの雇用と社会保障を目的に、そして先行きの不安な恐怖政治のロシアやその衛星国から逃げる目的でドイツにやって来ました。こうしたロシア人たちは、多分今現在の状況に、肩身の狭い思いをしていると思うし、ロシアのウクライナ侵攻が正しいものでない事を理解しているだろうと思います。
平和な時代・国に生まれた私には、どうして争いや戦争をするのか、さっぱり分かりません。母は、最終的には食糧や資源の奪い合いだと言っています。屹度そうなんだろうとも思います。しかし人間は死んだら、何にも死後の世界には持っていけません(死後の世界があると仮定して)。人間は身一つで死んでいく。果たしてそこに奪い合いが必要なのだろうか。死ぬまでの人生で、贅沢の限りを尽くしたい、特別でありたいと願う人もいる。身の丈にあった生き様で満足出来ない、これが人間の罪なのだろうな。政治の話に戻ると、国家として国民を飢えさせる訳にはいかないとなれば、他の豊穣な国を侵略する。国民が国家的略奪で潤うその横で、侵略されたかつての豊穣な国の民が虐げられ飢えるのを省みない。それでも、そのような不条理を否定する事も難しい。何故なら、命のかかった極限で、人間はただひたすら生きたいと願うだろうし、その先には自己犠牲ではなくて、自己保身しかない。それが人間の罪であり本能なのかもしれない。
戦争は罪だ。そして戦争は罪深く欲深い人間が始める。それでも、今回の侵攻先が自国でなかった事にホッと安堵しつつも、ニュースを観ながら憤慨する事しか出来ずにいる自分が、1番の偽善者なんじゃないかと思われてきて、苦しい。でも矢張り戦争は怖いし、自分が声を上げる事は怖い。
遠い国の出来事じゃない、身近な事。遠い国の出来事だったとしても、他人事みたいに思ってはいけないんだ。でも、どうしたらいい?