エマです、こんにちは。
今回一年ぶりに帰省して思ったのは、今年75歳になる母のこと。
毎年会う度にちんまいおばあさんになっていく母のこと。
2020年1月末に父が亡くなって、以来実家に独居中の母。一人でいるのが淋しいという人ではないのは、彼女の性格上、よく知っているつもりです。昔から自分の時間の過ごし方や自分自身との向き合い方を心得ている人だから。隣接する市に住む姉と関東エリアに住む妹も、仕事や都合がある為、「独居が淋しいようなら、急に言わずに前もって話して欲しい」と言っており、母もそれは承知。母としても、毎日顔を突き合わせるのではなく時々会う方が、お互いの衝突もなく気が楽なようでもあり。私自身も、時々の短期帰省だから母ともうまくいく訳で、それでも帰省中に一度や二度ぶつかることだってあります。
近所付き合いでご近所さんと会話する機会もありますが、独居である以上、会話という会話はあまりなく、TVだとかスーパーなどのお客様対応などの一方通行な会話ばかり。その辺、どうなのか訊くと、TVでもアナウンサーが「おはようございます」と言えば、口に出して返事するようにして口を動かすようにしているし、父の遺骨に声をかけたり、時々は従姉妹や同窓生たちと電話しているよ、との事ですが、それでも話をする機会があまりにも少なく、大丈夫か心配ではあります。
今回特に気がついたのは、話が以上に長い。昨年の比ではなく、一度話し出すと、横道に反れたり、戻ったり、話が長くて、時折端折りたくなる程。年の所為もあるだろうけれど、勿論これは、今まで子供に話せなかったような話を、大人になった子供と話せるようになった事が大きいのでしょう。私が今まで訊いて見たかった昔話(例えば母の故郷での話、同郷の小川国夫氏の話や愛吉さんの事、疎遠にしている父方の話など)や、私たち姉妹の同級生たちの話、親子共通の恩師たちの話など、話し出すと話が尽きず。私の実家のある地元出身ではないにも関わらず、郷土史に造詣の深い母、色んな話をします。何より興味深かったのは、父と母が出会う遥か昔、母方の祖父が小学生の母を連れて東京に親戚訪問をしていた際に、思いがけず父方の縁戚と知り合っていたという運命の悪戯のような話。それで父母自身の結婚披露宴で「義姉の夫になっていた」と分かりビックリ仰天。それには私もとても驚きました。そんな話も今だから聞ける貴重な話。
そんなこんなで今年の母の話は非常に長かったけれど、聴き応えのある話ばかりでした。こうした話ならば、聞き役に回っていられるのも何かの役得のようなもの。母の健在なうちに、どんどんこうした話を聞いておきたいと思います。また来年も沢山の貴重な話を聞かせてくれるかしん、と来年の帰省が楽しみなのでした。そして、一人母の話し相手をしている私を、文句も言わずに温かく見守っていてくれる旦那にも感謝です。