U先生と私

エマです。

以下長文です。

読書家の母は実家に立派な本棚を持ち、暇さえあれば、そして隙あらば本を開いている人です。にも関わらず、不思議な事に、子供である私たち三姉妹に本を読めと強いた事はついぞありませんでした。読み聞かせなどしてくれる親でもなかったし、結局三人揃って小さい頃から読書をする習慣はなかったです。

ただ幼稚園で、半ドン保育の土曜日に貸し出される福音館書店の絵本は大好きで、土曜日が楽しみでした。それらの絵本は現在もベストセラーですから、自分の子供たちにも愛読して貰いたくて、購入しました(本音は自分用)。また、この頃は、町立図書館で紙芝居を借りるのが好きでしたね。そういえば、次男の保育園のクラスの親日の先生が紙芝居が好きで、日本の紙芝居のドイツ語翻訳をよく読み聞かせてくれていました。

小学校では図書室が自分の教室の隣にあったので、掃除当番になった時や昼休みに入り浸るのが好きでしたが、読書をするというより、級友たちと世界七不思議や学校の不思議な話で盛り上がったりする空間でした。

中学校では、矢張り読書なんて夏休みの読書感想文を書く為に課題図書を借りる位でしたが、図書委員には進んで手を挙げてなっていました。この頃本に興味を持つようになって、何となく司書という職業に憧れたり。しかしこの時期は漫画やアニメにのめり込んだ時期で、読書はあまりしませんでした。とはいえこの頃、読書というと、読了した達成感を感じられる、読みやすいライトノベルを読む事が多かったです。天邪鬼な私は、何だか人の手垢の付いたようなチヤホヤされた純文学やベストセラーは読みもしないうちから敬遠しており、夏目漱石「吾輩は猫」や森鷗外舞姫」、太宰治人間失格」、三島由紀夫金閣寺」など代表的な本を読んだことすらありませんでした。まだまだ精神が未熟でした。

高校時代から本を読むようになり、大学時代は貪るように純文学を読みあさりました。そして社会に出て、就職先の先輩たちは自分よりも7-15歳年配の方々ばかりでしたが、昔の世代の方々というのは面白い位、純文学の代表作を読み込まれた方が多く、それら作品や作家について会話出来るのが楽しかったです。私が口にする作品は皆さん読了されていますから、会話が直ぐに成り立つのか嬉しかったです。その先輩たちが職場を離れ、自分にも後輩が出来るようになると、本に関する会話が成り立ちませんでした。過去の自分を見ているようでした。

少し戻り、高校時代。雉子が飛んでいるような長閑な地元の、当時中堅どころの公立高校でしたが、コミュ障なのもあり、隣のクラスに何人か友人は出来ましたが、肝心の自分のクラスでは、オタクな地味子で浮いた存在。別に虐められていた訳でもないし、中学時代の同級生たちが多く進学してきたので、クラス内でも必要範囲内で親しい会話もしたり、でも自分はどこへ所属した人間なんだろう、なんて煩悶する思春期を過ごしました。その所為か、よく腹痛を起こして保健室の常連でした。そして成績不振で赤点ばかり取って、出席日数が皆勤なのに進級がいつもギリギリ、理系科目の先生たちが何とか補習や追試だとかで下駄を履かせてくれて親身に助けてくれました。そんな崖っぷちスクールライフを送っていた小娘でしたが、そんな中にも楽しみな時間があったのです。

それは現代国語の時間でした。中学校時代には、国語の先生に恵まれませんでした。よく試験に「この作者はこの時どう思ったのか」「あなたはどう思うか」的な読解があると思うのですが、模範解答でないと評価してくれない先生ばかりでした。作者本人でないのに、また自分が感じた事を、世間多人数の許容する道徳観に当てはめて、それらと違う事を全否定される訳です。だから小学校の頃から好きだった国語の時間は、中学校に上がってから徐々に苦手になっていきました。

しかし高校で幸運にも、現国の先生に救われる事になったのです。当時の記憶が少し曖昧ですが、自分が高校1年2年の時に現国を受け持っていたU先生は常勤ではなく(もし違ったらすみません!)、自分の夢に向けて、二足の草鞋を履いた先生でした。

コミュ障の私自身は、直接U先生と積極的に会話したりした記憶はありませんが、U先生と言えば、教科書を使わない、藁半紙の人でした。自分の選んだ本の、自分で選んだ箇所を、これでもかという程に藁半紙に印刷して来るのです。これをまず教室で配るのが一仕事でした。かけがえのない2年間、U先生と紐解いた作品はこちら(当時習った順番で。自分の心の中を掘り下げる為の順序なのかと今になって思います)。

 

大岡昇平「野火」

坂口安吾「桜の下の満開の下」

遠藤周作「沈黙」

夏目漱石「こころ」

 

遠藤周作の「海と毒薬」もこの時読んだのだったかだけ、記憶が曖昧ですが、これも中々読み応えがある作品でした。
大岡昇平「野火」は、親しかった級友の女の子が、その描写から気分が悪くなって「こんなのヤダ〜」と嘆いていましたが、色んな意味で教室を騒つかせる作品でした。作品が読まれる静かな教室にU先生は一石を投じた訳です。若い私の心も騒つきました。この作品に関する考査試験では、登場人物の心情に関して問われました。その時の私はかなりどっちつかずの解答をしたのを覚えています。極限まで追い詰められた状況で登場人物の取らざるを得なかった行動を正当化しつつも、正義感や偽善から否定するという矛盾。当時の私はまだ未熟で若く、子供の言い訳のような矛盾した2つの感情を、表に書ききれずに、試験用紙の裏面にまで、つらつらと書き綴ったのでした。ああ、ダメだなと思いました。模範解答は屹度、「人間の尊厳を捨てた主人公は後悔の念に後々苦しむだろう」「死して尚、人間の尊厳を」みたいなものに違いないと思いました。相反する2つの答えを書いてはいけなかったとも思いました。しかし、馬鹿正直な私にはどちらが正しいとも答えを見つけられなかったのです。模範解答の選択肢は1つしかないと思っていたので、自分の解答は駄目だなと思いました。そうして戻って来た試験用紙には、バツを付けられる事もなく、添削される事もなく、U先生の感想が、先生の言葉で数行書いてありました。私の心の中の葛藤を理解した上で、コメントしてくれているのが伝わってきて、とても嬉しかったのを今でも覚えています。自分の頭で考えて自分なりの言葉で表現する事が評価の対象である事、そこに正しいとか間違いだとかの二択は存在しない事、そしてこの先生にならば、自分の思うところを紙面いっぱいぶつけても良いのだと、信じる事が出来たのでした。

その後U先生と紐解いた作品はどれも自分ごとのように、自分に向き合う事が出来、現在に至るまで、何度も読み、その時その時の置かれた自分の状況によって、様々な問いかけが生まれ、良き心の友となりました。

仲の良かった大好きだった友人が自死した時、それを自分の所為ではないか、止める事が出来たのはないかと自分を責め悩んだ時、日本人としてのカトリシズムに悩んでいた時、日本から遠く離れた異国の地で行き詰まり、苦しくて苦しくて死のうと決心して、冬の凍てつくような寒い日に水門の前に立った時、はっと我に返る事が出来たのは、こうした愛する作品たちが自分の心の中にあったからでした。

U先生と紐解いた作品たちは、いつまでも私の人生の糧となり慰めとなっていってくれる事と思います。たかが本、されど本。信仰も然り。神様を信じないで生きていける強い人は少数。神様や家族、好きな趣味、なんだっていい。ただ或るものを信じたり、或るものに愛着があったり、信念があったり、そうしたものが人生を歩む上で、心を軽やかにしてくれたり、心を支えてくれる糧となりえると思える人は幸いかな。

私は今日も元気に生きてゆく。

 

こころ

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