有難う、またね。

折角有給を取ったのに先週頭から子供たちが病気になり、続いて自分もダウンしたエマです。まぁ、疾病証明書を取ってあるので、有給は遡及請求出来るので良いのですが。

そんな中、訃報が入りました。父が亡くなりました。昨年脳溢血で倒れ、それでも自宅へ戻る事を目標にリハビリ病棟で毎日リハビリに励んでいるところでした。旦那の義叔父も50歳で脳溢血を起こしてから20年以上経つ今も元気ですし、母からも退院の目処もついている事や父の様子を聞いていたので、まさか、という結果でした。しかし脳溢血は生活習慣病で再発もしやすいと聞いており、不安は勿論ありました。とはいえ、こうも急に亡くなるとは思いませんでした。

子供からすれば、親は絶対の存在で、いつかいなくなるなんて思いもしないもの。現実にはそんな事はあり得ないのに、想像が出来ない。不思議なものです。

しかしながら、落ち着いて父の死を受け止めている自分がいる。多分側で父の姿を見ていれば、もっと辛いだろうと思う。受け止めきれていないから、辛くならないのか。これから徐々に悲しくなってゆくのだろうか。私は冷たい人間なのだろうか。ただ、自分が思い出すのは笑っている父だから、辛くならないのだろうか。

実は自分よりも、家族思いの旦那の方が参っている。私の事をとても気遣ってくれつつも、感情をあまり表に出さない私という人間を、不思議な面持ちで眺めている。そりゃぁ、そうだ。私の心の中には、誰であろうと善意であろうと、土足で踏み込む事の出来ない領域があって、そこには私自身でさえ引っ張り出す事の出来ない女の子が1人座っているのだから。おいそれとは出て来ません。

故人の意思で葬式はするつもりはなかったものの、リハビリ病棟の人に、話だけでもと、近くの葬儀屋を紹介してもらい、話が折り合ったので直葬となる予定です(直接火葬場でする略式の葬儀の事だそう)。父は宗教が嫌いなので、お経を読んで貰ったり戒名をつける事もなく、お骨のみ受け取って帰宅するのだそうです。

私は駆けつけたい気持ちもありますが、時間的な問題や諸問題がある事や、母が夏に帰省した際で充分と言ってくれており、直葬には参列しません。気持ちが落ち着いて、夏前に一度戻りたいと思うかもしれません。父も母も、私が自分の家族と幸せに暮らしてゆく事を望んでいるのであって、何もかもをほっぽって日本へ駆けつける事を良しとしていません。世間他所様からみたら、自分の実家の家族観は少し変かもしれません。でも人を思う気持ちは場所じゃない。心で思うものだと思っています。

昭和25年1月1日生まれ、享年70歳。高度経済成長期を支え駆け抜けた団塊世代の父。家族思いで、私にとって英雄であった父。父親っ子だった私には、大工仕事から配電作業、家事まで何でも器用にこなす父は偉大だった。常に平等で公平だった父。自分が職場でどんなに辛くても家族を支えてくれた父。父がもういないんだと、もう話すことが出来ないんだと、その声を聞く事が出来ないんだと思うと矢張り淋しく悲しい。しかし、さよならは言わない。有難う、またね、とだけ言っておく。

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今日道端で福寿草に似た花を見かけました。調べたら、1月1日の誕生花だそう。お父さん、春がもうすぐ来るよ。